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『沈まぬ太陽(会長室篇)』:山崎豊子|恩地の果てなき闘いが終わる・・・

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「沈まぬ太陽(会長室篇)」の内容

「空の安全」をないがしろにし、利潤追求を第一とした経営。御巣鷹山の墜落は、起こるべくして起きた事故だった。政府は組織の建て直しを図るべく、新会長に国見正之の就任を要請。恩地は新設された会長室の部長に抜擢される。「きみの力を借りたい」。国見の真摯な説得が恩地を動かした。次第に白日の下にさらされる腐敗の構造。しかし、それは終わりなき暗闘の始まりでしかなかった…。 会長室の調査により、次々と明るみに出る不正と乱脈。国民航空は、いまや人の貌をした魑魅魍魎に食いつくされつつあった。会長の国見と恩地はひるまず闘いをつづけるが、政・官・財が癒着する利権の闇は、あまりに深く巧妙に張りめぐらされていた。不正疑惑は閣議決定により闇に葬られ、国見は突如更迭される―。【引用:「BOOK」データベース】 

「沈まぬ太陽(会長室篇)」の感想

と悪

 会長室編は、恩地と国民航空との直接対決といった内容です。とにかく印象に残ったのは、善悪の区別が明確すぎる点です。組織立て直しのために招聘された清廉潔白な新会長・国見とその改革のために右腕となった恩地は、揺るぎない「善」として描かれています。 

 一方、国民航空の旧態依然の経営陣は、恩地たちに対峙する「悪」として描かれています。確かに、「アフリカ篇」「御巣鷹山篇」と国民航空の経営陣の腐敗を徹底的に描いてきたからには「恩地側は善」「経営側は悪」となるのは仕方ないのかもしれません。 

純に区分していいのか

 読み進めると、架空の国民航空ではなく日本航空という実在する一企業を小説という名を借りて批判しているだけのように感じてきてしまいます。それも、あまりに一方的な見方によってです。 

 善悪の区別ほど、人の主観によって変わるものはありません。確かに政・官・財が利権を追求するあまり現場をないがしろにし、安全追及を第一とすべき航空会社の責務を果たしていないのは悪です。だからと言って、組織の腐敗が経営陣全ての腐敗とイコールとは限りません。経営陣の中にも、心ある人がいるはずです。しかし、そのような人物は登場させず「経営陣=悪」の印象を植え付けるのはいかがなものでしょうか。純粋なフィクションの小説であればいいのですが事実に基づくと作者が言っている以上、読み手は日本航空はこういう会社だと思ってしまいます。

終わりに

 日本航空で働く全ての人たちに対して責任を持てるほどの取材と事実に基づいているのでしょうか。経営陣を敵視した内容になる取材に偏っていないのだろうか。小説としては、善悪をはっきりさせたほうが面白いとは思いますが。

 経営者は「清濁併せ呑む」必要があると思います。清廉潔白・直球勝負だけの改革ばかりで、話の展開が単調に感じてしまいます。 

 沈まぬ太陽を読んだ感想としては、「アフリカ篇」はおすすめ、「御巣鷹山編」は必読、「会長室編」は読まなくてもいいかな、というのが、最終的な感想です。

沈まぬ太陽〈4〉会長室篇(上) (新潮文庫)

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