「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」 フィリップ・K・ディック

アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のあらすじ

  第三次大戦後、放射能灰に汚された地球では、生きている動物を所有することが地位の象徴となっていた。人口の電気羊しかもっていないリックは、本物の動物を手に入れるため、火星から逃亡してきた<奴隷>アンドロイド8人の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、決死の狩りをはじめた! 現代SFの旗手ディックが、斬新な着想と華麗な筆致をもちいて描きあげためくるめく白昼夢の世界!〔映画化名『ブレードランナー』〕(文庫裏表紙より)

アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の感想

   1968年に刊行(日本語版は1969年)された近未来SF小説です。このタイトルよりも、映画化された「ブレードランナー」というタイトルの方が圧倒的に世間にはなじみがあるでしょう。 

 第三次大戦いわゆる核戦争後の地球を舞台にしています。設定としてはよくある状況です。当時の東西冷戦下におけるSFの普遍的な設定なのかもしれません。

  脱走アンドロイド8人を賞金稼ぎの「リック」が狩っていく。空を飛ぶ「ホバー・カー」「レーザー銃」「映話(TV電話のことだと思います)」など、当時、近未来に存在するだろうと想像されていた道具が登場し、近未来感を表現しているのだと思います。今となれば新鮮味はないですが。

 ベースはアクションSF小説なのですが、そのテーマには、人間とアンドロイドとの違いは何か?限りなく人間と区別がつかないアンドロイドを、ただアンドロイドという理由だけで、人間が一方的に廃棄処理することが正しいのかという苦悩を、リックの心の変化を通じて問いかけてきます。

 もちろん、人間とアンドロイドの決定的な違いは何かということは、作中に書かれています。これを言ってしまうと、この小説の最も重要な命題を知ることになるので書きません。ただ、その違いは、人間同士においても発生しうる違いであり、また、リック自身も変化していくことにより、ますます、人間とアンドロイドの境界があいまいになっていきます。

 SF小説でありながら、哲学的な問いかけを読者に提示してきます。なので、一読するだけでは、理解しにくいところがありました。ただ、考えさせられる小説です。

 映画「ブレードランナー」を一度見ようと思っています。非常に評価の高い作品ですし。その後で、もう一度、この小説を読み返したいと思います。また、新たな発見があるかもしれないので。

 いずれは、人間と全く変わらないようなアンドロイドが発明されるかもしれません。その時に人類はどのようにアンドロイドと関わっていけばいいのか。決して、空想だけの世界ではないような気がします。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))