毎日が読書日和ー思ったままの感想文

40歳で気付いた読書の魅力。小説から映画まで、感想を綴ります。

「ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌」 神山典士  

  今となっては話題にも上らない「佐村河内事件」です。先日、市民図書館に出かけた際に、書棚を見ていたら、たまたま目に入って借りてしまいました。もう3年程前の事件です。

 当時はあまり興味もなかったので、全聾の天才作曲家に実はゴーストライターがおり、今までの作品がゴーストライターによるものだったと発覚したということと、全聾というのも嘘で、実は耳は聞こえていた、というくらいしか認識していませんでした。あとは、記者会見の時の姿とそれ以前の長髪髭面の姿の違いに驚いたくらいです。

 

 いかにも、ワイドショーが好きそうなネタだなと思ったくらいでした。   

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          発覚前           発覚後

 本の感想の前に、佐村河内事件の概要を説明します。

 

「佐村河内事件」の概要

中途失聴とされる聴覚障害がありながら『鬼武者』のゲーム音楽や「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などを作曲したとして脚光を浴びたが、2014年2月5日、自作としていた曲がゴーストライターの代作によるものと発覚。聴覚障害の程度についても疑義を持たれており、ゴーストライターを務めた作曲家の新垣隆は、「佐村河内は18年間全聾であると嘘をつき続けていた」と『週刊文春』に掲載された独占手記で主張した。横浜市による再検査では中度の感音性難聴と診断され、障碍者手帳の交付対象となるレベルではなかった。      (ウィキペディアより)

 

  「佐村河内守」と「新垣隆

  タイトルから分かりますが、ペテン師は「佐村河内守」、天才は「新垣隆」です。ノンフィクションとして書かれています。綿密な取材に基づき、事実に沿って書かれています。

 しかし、読んでみた私の感想は、あまりに悪意に満ちた内容だなというのが第一印象です。佐村河内氏は取材に応じていないでしょうから、どうしても新垣氏やその周辺からの取材に基づいた内容になるのは仕方ないでしょう。それを考えても、一方的な書きぶりです。

 

 佐村河内氏については、全聾も生い立ちも何もかもが虚飾に彩られた嘘で固められていたし、それを意図的に作り出し、世間を騙したのは許されないことです。

 しかし、その嘘は共犯関係にある新垣氏がいたからこそ成立していたことです。新垣氏の作る作品がすばらしいから世間に注目されたのは確かでしょうから、新垣氏は天才なのかもしれません。だが、そこに佐村河内氏が、全聾や生い立ちなどの色付けをして更に世間に注目されるように仕向けたから、作品も更に注目を浴びたのも事実でしょう。もちろん、それは、佐村河内氏の自己顕示欲の塊みたいな性格からでもありますが。

  この本では、新垣氏も加害者の一面があると言及している部分もあります。しかし、圧倒的な悪として佐村河内氏を描き、新垣氏はまるで佐村河内氏に騙された被害者のような扱いです。

 

 新垣氏もゴーストライターであることに罪を感じていたことはよく分かります。しかし、佐村河内氏の名前で発表すれば、多くの人に聴いてもらえることも十分理解していたみたいです。自分の曲を多くの人に聴いてもらいたいという個人的な欲望(欲求と書かずに敢えて欲望と書きます)を満たすために、世間を騙すことを黙認していた訳です。

 新垣氏は、佐村河内氏の様に積極的に嘘を重ねている訳ではありません。佐村河内氏にいいように使われていたと、この本では言いたいのでしょう。あくまで悪いのは佐村河内氏だと。しかし、新垣氏も大人なのです。自分で善悪の判断ができますし、悪いと思えば止めることもできたはずです。

 結局は、新垣氏がこれ以上の嘘を重ねる罪の呵責に耐えきれずに、世間にゴーストライターということを告白しますが、18年も経ってしまっていれば、今更告白しても全く免罪にはならない。告白しないよりはましですが。この本はあまりにも新垣氏側に偏った見方をしています。

 

 共犯として、能動的であろうが受動的であろうが世間を騙した二人を、片方はペテン師、片方は天才と表現するのはいかがなものでしょうか。才能のないペテン師と才能のあるペテン師にすぎません。

 

メディアと佐村河内事件

 この事件がここまで大きくなった要因として、メディアの対応もあります。佐村河内氏をメディアが大きく取り上げるようになったのは、NHKスペシャルからみたいです。確かに、NHKが取り上げれば、他のメディアも話題性を求め追随するでしょう。楽譜は書けないし読めもしない佐村河内氏のドキュメントを制作して、その嘘に気付かなかったNHKにも問題はあります。しかし、佐村河内氏について、十分な検証もせず取り上げ続けた他のメディアにも佐村河内事件をここまで大きくした責任はあります。

 

 この事件が明るみに出てから、メディアの人たちは、「どうも怪しいと思った」とか「思い返せばあの時も不自然だった」とか臆面もなく言っているようです。今更ながら何を言っているのでしょう。まるで、メディア自身も被害者のように振る舞っています。メディアは、圧倒的な情報発信力を持っています。そんな力がありながら、自分たちの検証力不足を棚に上げ、騙された自分たちも佐村河内氏の被害者だと思うのはおかしい。

 

音楽を聴いた一般人は騙されたのか?

 これはちょっと難しい問題です。結論から言うと、騙された人もいるし、騙されなかった人もいるという風に私は考えます。

 そもそも、新垣氏が作った作品が非常に優れたもので、聴く人に感動をもたらすのであれば、それを聴いて感動した人にとっては騙されたという訳ではないでしょう。音楽自体が素晴らしいのであれば、極論すれば、作曲者が誰であるかは問題ではないからです。

 

 もう一つは、佐村河内氏が作った作品だから聴いていたという方々です。全聾を克服し作曲を続けている佐村河内氏の作品だからこそ聴いて、そして、そのような佐村河内氏の存在も含めて感動を覚えた人にとっては騙されたことになるのでしょう。

 もちろん、音楽は誰が作曲したのかということも重要な要素です。そう思うと、騙されたと感じる方々の方が多いのかもしれません。

 ただ、ここでも言いたいのは、一般の方々が情報を得るのはメディアからです。先述したようにメディアが適切な検証なしで報道をしたことによって引き起こされた部分も大いにあります。なので、一般の人々に対しては、メディアも加害者になると考えています。

 

佐村河内氏自身の大きな罪は・・

 私は、この事件は、佐村河内氏・新垣氏・メディアによって引き起こされたものだと感じています。どれか一つでも欠ければこの問題はここまで大きくはならなかったでしょう。罪の大きい・小さいはあるとしてもです。

 ただ、この本を読んで、佐村河内氏だけが犯した大きな罪が一つあると感じました。それは、障害児たちを自分のために利用しようとしていたことです。

 

 この本では、「みっくん」という子供さんについて書いています。このみっくんは、佐村河内氏の被害者です。誰が見ても、佐村河内氏のこの子に対する態度は、常軌を逸していますし、この子は心に大きな傷を負ったことでしょう。

 他にも、佐村河内氏が接触していた障害児はいたようですので、その子たちも被害者でしょう。ただ、佐村河内氏が、この子たちを完全に利用しようと考えていたのか、それとも少しでも彼女たちの役に立ちたいと思っていたのかは分からないと本書でも述べています。確かに、少しは役に立ちたいと思っていたのかもしれません。しかし、心の片隅にでも利用しようと考えていたのなら、それは許されることではないでしょう。

 

「ペテン師と天才」の感想

  この本を読んで、この佐村河内事件にはこんな大きな裏側があったのだと初めて知りました。そういう意味では、この本を読んでみて良かった。その後の、佐村河内氏と新垣氏については、世間の反応があまりにも違うように感じます。佐村河内氏は加害者、新垣氏は被害者という雰囲気になっていることです。この本でも、そう書かれています。

 このように佐村河内氏に全てを押し付け、事件を収束させたのは、やはりメディアではないでしょうか。メディアは自分たちの罪を逃れるために佐村河内氏に全てを押し付けたのではないか。

 この事件は、単なるゴーストライター事件としてワイドショーネタで終わらせることなく、メディアの在り方も考えていく必要があります。

 

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌

 

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