毎日が読書日和ー思ったままの感想文

40歳で気付いた読書の魅力。小説から映画まで、感想を綴ります。

「風の歌を聴け」 村上春樹

 「風の歌を聴け」のあらすじ  

一九七〇年の夏、海辺の街に帰省した“僕”は、友人の“鼠”とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。二人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、“僕”の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。 【「BOOK]データベースより】 

 

風の歌を聴け」の感想 

 村上春樹氏が、1979年に発表したデビュー作です。村上氏は独特の感性や文章表現で、他の作家とは一線を画していると思います。その感性が、このデビュー作において既に確立されているように感じました。ただ、著者は、「自身が未熟な時代の作品」と評価しているようですが。

  

 物語は、1970年8月8日から8月26日までの18日間の出来事です。主人公である「僕」の回想という形で書かれています。 

 短い章をいくつも重ねて、物語を構成しています。その章ごとで断片的な物語を作り、そしてひとつのストーリーを築き上げているという感じです。

 読後は、物悲しさ、もどかしい感覚、焦燥感、無力感。なんと表現してよいのか分かりませんが、いろんな感情が心に残ります。そして、取り残されたような気もします。

 

 20歳の「僕」と友人の「鼠」そして指が9本の「女の子」。そして「ジェイ」。ジェイを除き、若い登場人物たちでありながら若々しさよりも、その心象の、あまりにも深く脆い様子が、村上氏独特の文章と比喩そして感性で描かれているような気がします。

 

 冒頭で「僕」が語ります。  

ひと夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように25メートル・プール一杯分ばかりのビールを飲み干し、「ジェイズ・バー」の床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻をまきちらした。そしてそれは、そうでもしなければ生き残れないくらい退屈な夏であった。 

 

 「僕」と「鼠」にとっては、そのくらい退屈な18日間です。ただ、退屈といっても、指が9本しかない女の子と出会ったり(出会い方は有りがちです)、鼠と車で事故ったりと出来事はあります。しかし、そのようなことよりも、登場する人物たちが抱く停滞感が、彼らに退屈と思わせているのだと思います。

 最初に書きましたが、この小説は、「僕」が回想という形で、20歳の夏の18日間を語ります。しかし、読み終わった後には、何が語られていたのか明確なところは、よく掴みきれない気がします。

 この小説はストーリーを追って読むべきものではなく、村上氏の感性を読者の感性で受け止めるといった小説なのかもしれません。物語がないと言っている訳ではありません。もちろん18日間の出来事が描かれているわけです。しかし、読み終わった後の感覚としては、物語を理解する理性的な面よりも、感情というか感覚に直接訴えてくるような感じです。

 結局のところは、よく分からなかったというのが正直な感想なのかもしれません。よく分からなかったというのは語弊がありますが、この不思議な感覚になる理由がよく分からなかったということかもしれません。

 ただ、著者の言いたいこと、伝えたいことを読み解くことばかりを気にして読むのも堅苦しい気がします。読後に、何とも言えない寂寥感を感じる人もいるでしょうし、倦怠感、物悲しさ、孤独感を感じる人もいると思います。人それぞれに感じるものが違う。それでいいと思います。

 ストーリーに対する感想は、短い章立てをいくつも構築して作られているので、一言では書き記せません。「僕」と「鼠」の話。「僕」と「女の子」の話。「ジェイ」の話。それぞれに話があるので、読んでみてください。

 キザなセリフと音楽と比喩的表現に好みが分かれるかもしれません。特に、比喩に音楽を使われると知らなかったら分かりません。そのあたりを許容できるかどうかもあるかもしれません。

 ただ、何度でも読み返したくなる一冊であることは間違いありません。私はそのように感じました。

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)