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『そして誰もいなくなった』:アガサ・クリスティー|見えない犯人に追い詰められていく

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 初読です。映像化されたものも観ていませんので、全く犯人を知らない状態で読み始めました。ミステリーは犯人が分かった状態で読むのとそうでないのとでは、面白さが10倍違う気がします。私は幸いなことに、これだけの有名な作品で映像化も数多くされているにも関わらず、犯人を知らずに読むことが出来ました。
 はっきり言って、犯人は意外でした。
 小説の最後、犯人の告白書で事件の全容が語られて、ようやく事件の全体像が分かります。そこに至るまでの過程で犯人を特定できるものは、皆無に近いと言わざるを得ません。 

 先ごろ「オリエント急行殺人事件」の映画を観て、その後小説を読みました。映画を先に観たので、小説を読む時は犯人が分かっていました。やはり犯人が分かっていると、どうしても頁を捲る手が鈍ってしまいます。映画では分からなかった細かい部分まで、よく分かりましたが。ネタバレなしを心がけ、感想を書いていきます。書けることが限られてしまいますのでご了承ください。 

「そして誰もいなくなった」の内容 

その孤島に招き寄せられたのは、たがいに面識もない、職業や年齢もさまざまな十人の男女だった。だが、招待主の姿は島にはなく、やがて夕食の席上、彼らの過去の犯罪を暴き立てる謎の声が響く…そして無気味な童謡の歌詞通りに、彼らが一人ずつ殺されてゆく!【引用:「BOOK」データベース】  

「そして誰もいなくなった」の感想 

行は進んでいく

 インディアン島に集められた10人。召使であるロジャース夫婦を除く8人がインディアン島に向かう途上から物語は始まります。彼らがインディアン島に向かう理由は、招待状を受け取ったり、ある者に行くよう勧められたり様々です。全く統一性がありません。この8人を集めるためだけに仕組まれたことだと分かります。島に集められたのは8人とロジャース夫婦の計10人です。

  • この10人の共通点は何なのか?
  • インディアン島で一体、何が始まろうとしているのか。 

 共通点については、インディアン島の最初の晩餐の日に明らかになります。共通点と言っても、あるひとつの出来事に10人が共通して関わっていた訳ではありません。彼らが過去に犯した罪の種類が同じだったということです。そこから、集められた10人が殺されていく。

  • 次は誰の番なのか?
  • 犯人は誰なのか?

 残された招待客に与える不安と緊張感は、読んでいて引き込まれます。読者もこのふたつの謎を必死に考えることになるのです。この小説に引き込まれる理由のひとつは、起こってしまった犯罪の犯人を捜していくことではないところです。

 犯罪が行われている最中に犯人を捜す。

 見つからなければ、いずれ自分も殺されてしまう。その命を懸けた犯人探しに引き込まれていくのです。そして、ただ犯人を捜すだけでなく仕掛けが施されています。それが古い子守唄と10個の陶器の人形。ふたつの仕掛けが、招待客をさらなる恐怖に陥れていきます。この仕掛けこそが「そして誰もいなくなった」の最も重要な要素かもしれません。 

い子守唄と10個の陶器の人形 

 招待客を恐怖に陥れる仕掛けとしての子守歌。 

  1. 十人のインディアンの少年が食事に出かけた
    一人が咽喉をつまらせて、九人になった
  2. 九人のインディアンの少年がおそくまで起きていた
    一人が寝すごして、八人になった 
  3. 八人のインディアンの少年がデヴァンを旅していた
    一人がそこに残って、七人になった 
  4. 七人のインディアンの少年が薪を割っていた
    一人が自分を真っ二つに割って、六人になった 
  5. 六人のインディアンの少年が蜂の巣をいたずらしていた
    蜂が一人を刺して、五人になった 
  6. 五人のインディアンの少年が法律に夢中になった
    一人が大法院に入って、四人になった 
  7. 四人のインディアンの少年が海に出かけた
    一人が燻製のにしんにのまれ、三人になった 
  8. 三人のインディアンの少年が動物園を歩いていた
    大熊が一人を抱きしめ、二人になった 
  9. 二人のインディアンの少年が日向に坐った
    一人が陽に焼かれて、一人になった 
  10. 一人のインディアンの少年が後に残された
    彼が首をくくり、後には誰もいなくなった   

 この子守歌に沿って行われる殺人。殺されるたびに減っていく陶器の人形。残った人間を恐怖に陥れ、猜疑心を生ませる。殺人が起こっていくたびに、それらがさらに増幅される。この緊張感は、この子守歌と陶器の人形があるからこそ際立っています。 

になった点 

 完成度の高いミステリー小説ですが、いくつかの疑問点・腑に落ちない点もあります。

 まずは、インディアン島に集めるために施された細工です。その中でも招待状が気になります。差出人に覚えがない、又は招待される理由が分からないなどと言った状況で、果たしてインディアン島に出向くだろうか。しかも、犯人が呼び寄せることを意図した人物全員が島に来る。ちょっと都合がいいかな、と感じざるを得ません。 

 次に、最後の殺人です。 

一人のインディアンの少年が後に残された
彼が首をくくり、後には誰もいなくなった  

 この子守歌に沿って最後の殺人が行われます。ただ、その殺人は不確実性があります。犯人は、心理学的にかなりの高確率で予定通りの殺人が行われると思っています。しかし100%ではない。もし、犯人の意図通りに最後の殺人が実行されなければどうなったのか。 

 最後に、犯人の動機です。犯人の動機は、怨恨でも罪に対する正義の鉄槌でもありません。極めて個人的な感情によるものです。その動機が、10人もの人間を殺す動機に成り得るのか。今で言う「サイコパス」的な印象を受けます。動機としては意外性があり面白いのですが、やはり動機付けとしては薄い印象があります。 

最後に 

 この小説は1939年に刊行されています。それほど古いミステリー作品ながら、今なお読み応えがあります。先ほどいくつか気になる点を書きましたが、それらを差し引ても面白い。後のミステリー作品に多大な影響を与えたのも納得です。

 最近読んだ綾辻行人氏の「十角館の殺人」は、この作品を意識して執筆されたものでしょう。そして「十角館の殺人」も多くのミステリーファンに多大な影響を与えています。そう考えると、アガサ・クリスティーは偉大なミステリー作家です。