晴耕雨読で生きる

本を読み、感想や書評を綴るブログです。主に小説。

ーおすすめ記事ー
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト

映画「忍びの国」を観た|伊賀忍者の本性と迫力のアクションに引き込まれる

映画「忍びの国」を観てきました。

小説がかなり面白かった(私の感想ですが)ので、公開されたらすぐに観に行こうと思っていましたがなかなか忙しく、ようやく見に行くことができました。「忍びの国」はもともとオリジナル脚本として書かれ、それをベースに小説が書かれたという経緯があります。なので、映画の流れに無理がありません。

 原作が小説や漫画などもともと映画の脚本として書かれていないものを映画化すると、原作を台無しにするような駄作になってしまうことも、しばしばあります。しかし「忍びの国」は、もともとが脚本なのでそんなことはありません。もちろん小説と比べれば、2時間程度の時間の枠内に収めるという制限があるので物足りない部分もあります。小説との違いは後述しますが、それでも映画館に足を運んだ甲斐はありました。大画面で観た方が良い映画です。 

映画「忍びの国」のあらすじ 

時は戦国。魔王・織田信長は諸国を次々と滅ぼし、勢力を拡大していた。次に狙う伊勢・北畠家には次男の信雄を送り、日置大膳、長野左京亮らの重臣ともども、支配下におくことに成功した。特に日置大膳はその武勇が織田家に轟くほどの猛者で、織田の軍勢はさらに盤石なものとなった。今や織田家の天下統一は目前であった。しかし、その織田信長でさえ攻め入らなかった国がひとつだけあった。それは伊勢の隣国・伊賀。伊賀に棲むのは人を人とも思わぬ人でなしの忍者衆で、”虎狼の族”と呼ばれて恐れられていた。そんな忍者のひとり、無門は、”どんな堅牢な門でも彼の前では意味をなさない”と形容されるほどの凄腕の持ち主だが、普段は無類の怠け者で、女房のお国の尻に敷かれる毎日を送っていた。一方、腕は無門に匹敵する伊賀忍者の下山平兵衛は、家族の命でさえも粗末に扱う伊賀の考えに疑問が生じ、故郷の伊賀こそ滅亡すべきと考えるようになっていた。そしてある日、ついに織田軍が伊賀討伐の兵を挙げる。下山平兵衛が祖国を裏切り、伊賀への手引きを行ったのだった。最強織田軍 対 伊賀忍び軍。圧倒的な戦力で伊賀に攻め込む織田の軍勢。伊賀は武力・兵力では、到底かなうはずもない。しかし、無門率いる忍びの軍団は誰も想像できない秘策を用意して織田軍に対抗するのだった! 「忍びの国」公式ホームページより 

監督:中村義洋 

主要キャスト:無門「大野 智」|お国「石原さとみ」|日置大膳「伊勢谷友介」|下山平兵衛「鈴木亮平」|織田信雄「知念侑李」 

映画「忍びの国」の感想

っという間の2時間

  映画を観た時に、どれほどその映画に没頭できたかどうかが面白い映画とそうでない映画の違いだと思っています。その没頭具合を図る目安が、2時間ほどの公開時間があっというまに終わるのか、それとも長く感じるのかの違いです。私にとっての一つの指標です。その意味では、この映画はかなり面白い部類に入ります。

 小説で内容を知っているのに引き込まれ、2時間があっという間でした。 

  映画は息をつく暇もないくらい忙しく展開していきます。今までの戦国時代を扱った映画やドラマでの武士同士の戦と違い、忍者と武士の戦なので合戦の模様は新鮮です。はっきり言ってむちゃくちゃです。何でもありの忍びですから、正々堂々と戦うことなんてしません。 ただ、小説に比べればどうしても物語の深みはありません。2時間という制限の中では仕方ないでしょうし、そこは割り切って作っているのでしょう。ただ、その割り切りも潔くていい。 

説のイメージを壊さない

 主人公の無門は、凄腕でありながらも飄々としています。小説を読んだ後に、無門を嵐の大野くんが演じると知ったときは「イメージは、まあ合っているかな」というくらいに思っていました。役者としての大野くんを見るのは、今回の「忍びの国」が初めてでしたが驚きました。演技力もそうですが、脇を固める存在感の強い出演者の中でも全く引けを取らない存在感に圧倒されました。 

バラエティの大野くんは嵐の中でも控えめであまり目立たないイメージだったのでびっくりです。 

 飄々としたキャラ、軽快なアクション、笑ったり困ったり怒ったり泣いたりの全てに嵐の大野くんということは忘れて、本当に無門が存在しているみたいでした。ちょっと褒めすぎかもしれませんが。 

クションが秀逸

 映画としてはアクションエンターテイメントといった感じでしょうか。小説だとアクションはもちろんですが、謀略を張り巡らせ織田軍と渡り合う忍びの怖さが滲み出ていました。まさしく、人に非ずといったところです。同じ伊賀者であっても道具のように扱う非人間の忍びと、矜持を持って戦う武士との壮絶な戦い。武士にとっては戦いだが、忍びにとっては金を稼ぐための殺しでしかない。ただ映画においては、その生臭さはかなり消えてしまっています。その分アクション的な要素が増しており、無門の尋常じゃない強さを強調するような作り方でした。 

 無門も人間の心を持たない忍びであったのが、お国と平兵衛によって人になる。それが、この物語の大事なところです。確かに、映画でも無門は金に汚く自分のこと(お国を除いて)しか考えないように描かれているのですが、最初から何故かいいヤツに感じます。大野くんの顔が、悪人顔でないせいかもしれないけど。あまり非道に過ぎるとエンターテイメント性が薄れて感情移入がしにくいかもしれないので、映画ではこれくらいでちょうどいいと思います。 

ざけ過ぎ? 

 前半はコメディ的な要素が多いです。ちょっとふざけ過ぎかなと感じました。織田軍は重厚でいかにも大河ドラマ的な描き方がされていますが、対照的に伊賀の忍びたちはコメディアンのようになっている印象がありました。特に気になったのが、無門が大膳に斬られ服の下に着込んでいた鎧を外した後です。身軽になった無門が織田の兵に囲まれその攻撃をかわすのですが、そのかわし方がふざけ過ぎてやり過ぎです。私は、そこが気になってしまいます。

 終盤は泣かせます。平兵衛とお国により人へと変わっていく無門の変化を大野くんが見事に演じています。人間ドラマとしての要素もきっちりと出してきています。  

説との違い  

 小説で登場し、映画では登場しなかった人物も多くいます。これも、2時間という時間がある以上仕方ないことかもしれません。その中でも、 

  木猿:百地家の下人。土遁の名手。元の主は柘植三郎左衛門

  文吾:百地家の下人。後の石川五右衛門

  鉄:鍛冶の少年。百地家に関わる鉄砲以外の武具製造を一手に引き受ける

  柘植三郎左衛門:信雄の家臣。棒手裏剣を操る。かつての十二家評定衆 

は小説では重要な役柄でしたが、残念ながら登場しません。これらの人物が登場しないので、彼らに関わるエピソードや事件は一切なくなっています。特に、柘植三郎左衛門は、伊賀と織田を繋ぐ重要な人物であったので登場させてほしかった。登場人物で言えば、織田信長も映画では登場しません。 

 映画での忍びの描き方も、金に汚い印象ばかりが強くなってしまっています。金をもらえないと動かないといった印象です。確かにそうなのですが、金をもらえないと動かないのと同時に金のためなら何でもする。同じ伊賀者でも見捨てるし裏切りもする。そこまでの非道さが描かれていない。 

金に対する執着は小説の方が際立っています 

 そこまで描くことにより、無門が人としての感情を持つことに意味が出てきます。同じく日置大膳も、その勇猛さを際立たせるエピソードはありませんでした。伊勢谷友介の迫力で勇猛さは十分に分かりましたが。

 小説と比べるとどうしても削られる部分が出てきてしまいます。それが、物語に大きな影響を及ぼすことであっても仕方ないのかもしれません。 

最後に

 先に映画を見るか、それとも先に小説を読むか。どちらがいいのでしょうか。私としては、小説を読んでから映画を観た方が楽しめると思います。もちろん小説を読んでしまうとストーリーを先に知ってしまうので、映画が面白くないと思われるかもしれません。しかし、先述したとおり、小説には描かれているが映画では削られている部分が多くあります。その削られていることを知った上で観た方が楽しめます。

 小説が良作であること、その小説の持つ世界を壊すことなく作られていること、キャスティングが良かったこと。それらが、この映画を見応えのあるものにしています。

www.shinobinokuni.jp