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『利休にたずねよ』:山本兼一|茶人「利休」だけでなく、人間としての「利休」が描かれる

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 第140回直木賞受賞作。戦国時代から豊臣秀吉の天下統一にかけての小説や映画・ドラマでは、必ずと言っていいほど千利休は登場します。利休は、秀吉を描く上で重要な人物です。もちろん、秀吉以外にも当時の武将や商人など多くの人々に対しても影響力を持った重要な人物です。その影響力が、利休自身の首を絞めることになっていくのですが。  

 脇役として描かれることが多い利休ですが、彼の生涯については多くの人が知っているでしょう。詳しいか詳しくないかは別にしてです。描かれ方は小説などによって様々ですが、悪い人物として描かれることは少ない。多くの小説では、後年の秀吉の暴虐ぶりと石田三成の謀略を際立たせる人物として彼の人生が描かれています。彼らの一方的な思惑で切腹に追い込まれるからです。

 私が抱く利休の印象は、泰然自若として穏やかな人物です。茶の湯の完成に人生を費やし、茶の湯に人生を求めて生きている人物です。それ以上の描かれ方をしている小説や映画・ドラマを見ていないせいかもしれません。

「利休にたずねよ」の内容  

女のものと思われる緑釉の香合を肌身離さず持つ男・千利休は、おのれの美学だけで時の権力者・秀吉に対峙し、天下一の茶頭へと昇り詰めていく。しかしその鋭さゆえに秀吉に疎まれ、切腹を命ぜられる。利休の研ぎ澄まされた感性、艶やかで気迫に満ちた人生を生み出した恋とは、どのようなものだったのか。【引用:「BOOK」データベース】  

「利休にたずねよ」の感想 

 実と創作

 「利休にたずねよ」は、まさしく利休が主役であり、利休の人生を殊更に知る初めての機会でした。もちろん、小説なのでフィクションです。しかし、歴史の事実として語られる部分も多くあります。 

  • 歴史の事実としての利休
  • フィクションとしての利休

 その境目があいまいになり、書かれていること全てが本当に利休自身が考えていたこと、感じていたことのように受け取れます。歴史上の人物としてではなく、人としての利休を感じ取ることが出来る小説です。 

休の生涯 

  • 1522年 堺の商人の千与兵衛の子として 生まれる。祖父の田中千阿弥は室町幕府の8代将軍足利義政の茶同朋をしていた。
  • 1540年 武野紹鴎に茶の湯を学び、宗易を名のる。 
  • 1569年 堺の町が織田信長に降伏する。
  • 1570年 千宗易が織田信長の前で茶をたてる。  
  • 1583年 千宗易が豊臣秀吉に認められ、茶坊主に取り立てられる。
  • 1584年 千宗易が大阪城内に茶室を開く。豊臣秀吉から3000石を受ける。
  • 1585年 千宗易が正親町天皇に茶を献じ、利休の名をたまわる。
  • 1587年 北野大茶会で千利休が豊臣秀吉、今井宗久とともに亭主を務める。      
  • 1590年 千利休が豊臣秀吉の小田原征伐に従う。
  • 1591年 千利休が豊臣秀吉の命令により、堺に閉じこめられる。千利休が豊臣秀吉の命令で切腹する。 

重な視点による利休像 

 千利休を主人公にした小説を読むのは初めてでした。と言っても、利休の生涯は有名です。秀吉の怒りを買い、切腹により人生を閉じたことも周知の事実です。小説としてドラマティックな表現で描かれていたとしても、歴史の事実が変わることはありませんので新鮮味は薄いかなと思ってました。
 しかし、歴史の事実などどうでもよくなるくらい利休の心の深遠と生き方を表現した見事な小説でした。茶人「利休」であるとともに、人間「利休」を思い知らされます。もちろん、利休の心象は大いにフィクションを含んでいるはずですので、そのことは十分に認識する必要はあります。歴史書としてではなく、小説として読み応えがあるということです。 

 本作は、利休が切腹する場面から始まります。そこから、利休切腹の、〇日前、〇か月前、〇年前と過去の利休へと遡ります。それが章立てとなって構成されています。 

利休の生涯が、時間を遡りながら描かれていくのです。 

 それに伴い、それぞれの章において視点は変わります。秀吉の視点であったり、古田織部であったり、家康であったり。利休自身の視点で語られる章もあります。利休以外の視点から多角的に利休を捉えるとともに、利休自身の視点から捉えた利休自身の物語を重ねることで、利休の人物像を厚みのあるものとして表現しています。 

 利休の物語でありながら、利休の一方的な視点で世界を眺めている訳ではないのです。利休を師として仰ぐ者。疎ましく思う者。また、その両方を併せ持つ者。利休という一人の人間に対して、周りの人間がこれほどまでに様々な思いを抱くのは利休がそれほど特異な存在だったからかもしれません。単なる茶人とは言えない存在であった。それが秀吉の不興を買い、三成に謀られた理由でしょう。 

休にたずねよ

 何をたずねるのだろうか?
 人によって受け取り方が違うかもしれません。私が思ったのは、利休が切腹を受け入れた理由です。もともと、利休が切腹を与えられた理由は諸説ありますが、 

 ・大徳寺山門の利休像

 ・茶の湯の道具での荒稼ぎ

が理由のひとつと考えられています。言いがかりに近いものです。

 利休が謝罪する理由はありませんが、謝罪すれば切腹は免れるのです。言いがかりですが、言いがかりだからと言って謝罪を拒むほどのものかどうか。身に覚えのない罪でも、切腹と比すれば頭を下げればいいだけの話です。
 それが出来ない。秀吉には頭を下げられない。利休が最も大事なものを、秀吉が貶めたことが理由だと受け取りました。もちろん、それだけでなく様々なことが積み重なった結果です。譲れないものは、利休の人生そのものです。死よりも重要なものが人生を通じてあったということです。それを、時間を遡り尋たずねていくのです。 

休と茶の湯と美 

 利休は茶人ですから、茶の湯を中心に物語は進みます。しかし、茶の湯が本質ではなく、そこに表現する「美」が利休の全てであるように感じます。その美を追求するために生き、そのためなら一切の妥協を許さず誰が相手でも引かない。自らの審美眼を極め、それだけが美と称するならば尊大に受け取られます。どんな人間でも、否定されるのは面子を潰されます。特に、美を極めた利休に否定されれば尚更でしょう。
 秀吉が最も利休を意識しています。天下人でありながら、唯一、思い通りにならない人物。それが武士でなく茶人。利休の美は、揺るがしがたい美であることを認めざるを得ない事実。 

 では、利休の美はどこから来たのか。利休は、何故、そこまで美に拘るのか。それが自分の死を招くとしても、拘らざるを得ない理由は何か。冒頭、利休の切腹の場面で、妻の宗恩にあることを問われます。それが答えに繋がるのです。物語を通じて美を追求する利休の根源については、物語を通じてぼんやりと語られていきます。

終わりに 

 結末で、利休19歳の時のエピソードが語られます。そこに全ての答えがあります。

  • 利休が美を求め続けた理由。
  • 切腹を命じられながらも謝罪できない理由

 読み終えた時、茶人「利休」とともに人間「利休」が心に突き刺さります。果たして、利休のこれほどの生き様を描いたものがあったのか。それほど引き込まれ、利休に惹かれる小説です。