毎日が読書日和ー思ったままの感想文

本を読み、備忘録的に感想を綴るブログ。主に小説。映画もたまに。

つばさものがたり:雫井脩介【感想】

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 久しぶりに泣きそうになった一冊でした。

 天使と妖精のハーフの「レイ」。レイの姿が見え、会話ができる叶夢。

 ファンタジー小説かな、と思わせます。

 しかし、主人公の君川小麦に降りかかるのは、乳がんという現実的な苦しみ。夢であったケーキ屋を開店するも、客足が伸びず閉店。

 彼女に襲い掛かる現実は、あまりに辛い。

 

 天使(天使と妖精のハーフですが、とりあえず天使ということで)のファンタジー的要素と、小麦の現実的なストーリー。

 直接的にレイを登場させるのではなく、叶夢の通してレイを描く。レイが現実に存在するのか、それとも、叶夢の想像なのか。

 そういうことは、どうでもいいことのように感じてきます。

 叶夢が話すレイのことを、小麦を含む周りの人間がどのように受け入れていくか。

 受け入れることによって、自分と周りの世界が、どのように変わっていくのか。

 

 結末は予想の範囲内でありながらも、涙が出そうになってしまいます。

 

 

「つばさものがたり」の内容

パティシエールの君川小麦は、自身の身体に重い秘密を抱えたまま、故郷・北伊豆で家族とケーキ屋を開いた。しかし、甥の叶夢からは「ここは流行らないよ」と謎の一言。その通り、店は瞬く間に行き詰まってしまう。力尽きた彼女に新たな勇気を吹きこんだのは、叶夢と、彼にしか見えない天使の“レイ”だった…。小麦のひたむきな再起を見届けたとき、読み手の心にも“見えない翼”が舞い降りる。【「BOOK」データベースより】

 

「つばさものがたり」の感想

小麦の生き方

 小麦の登場は、病院の診察から始まります。

 彼女が、乳がんの転移により厳しい状況にあることが語られています。おそらく、彼女は、余命というものを意識しているはずです。 

 父の夢であったケーキ屋。それが、いつの間にか自分の夢にもなり、辛い修行にも耐えていた。その積み上げてきたものが、崩れ去ってしまう。

 彼女の虚無感と悲観が伝わってきます。生きる意欲は、夢や希望を失うことで喪失してしまいます。

 

 しかし、彼女は、夢を捨てきれない。自分の人生の先が見えないからと言って、何もかもを諦めたくない。母と一緒にケーキ屋をするという夢を実現しようと決意します。

 それは、生きる意欲を失いつつある自分自身に、生きる希望を与えようとしているのでしょう。余命を知ったからと言って、希望のない人生を歩まなければならない理由はありません。彼女は、そう考えたのかもしれません。もし、周りに迷惑を掛けることになったとしても。

 

 そこまで決意しておきながら、家族に病気のことを隠したままケーキ屋を開店します。

 何故、彼女は、病気のことを家族に打ち明けなかったのか。

 母親より先に死ぬことが、母親を悲しませるから?

 母親の希望で有り続けたかったから?

 

 それらも、理由のひとつでしょう。しかし、打ち明ける勇気がなかった、というだけのことかもしれません。

 母親のために隠すという理由付けをしながらも、現実を直視するのを避けたかったのかもしれません。

 自分が病気であることを話せば、家族は、小麦を病人として扱う。そして、不憫に思うかもしれない。そのことで、自分が病気であることを思い知らされる。周りが知らなければ、少なくとも、家族との関係の中では、今までの自分でいられる。

 

 しかし、話さないということは、全てを自分一人で背負うということになってしまいます。

 一人で背負うには、あまりにも大きくて辛い病気。それに加え、ケーキ屋の未来、家族に対して秘密にしていることの罪悪感。

 あまりにも彼女を追い詰めることばかりです。

  

 最初のケーキ屋が潰れ、家族に病気が知れた時に、彼女の感じた挫折は計り知れない。ただ、一方で、一人で背負っていた重荷を降ろすきっかけであったかもしれません。

 彼女が、再び、前を向くことが出来たのも、自分の苦しみを家族で共有したからかもしれません。

 

叶夢とレイ

 小麦の兄「代二郎」の幼稚園児の息子「叶夢」。

 叶夢だけが見えるという天使のレイ。読者は、この状況を、どのように受け止めていくか。

 天使が登場するとなると、一気にファンタジーになってしまい、小麦の深刻な物語と噛み合わなくなってしまいそうな気がします。

 しかし、天使の話が出てきながらも、非現実的な物語には感じません。

 何故だろうか。

 おそらく、叶夢に対する父親の代二郎の反応が、現実的だったからでしょう。

 天使が見える叶夢に、どう対応していいか分からない。我が子ながら、特殊なんじゃないかと疑ってしまう。

 叶夢が見える天使を信じないから、距離が開いていってしまう。自然、叶夢は代二郎に懐かない。

 当然の成り行きです。子供の話すことと言っても、天使が見え、会話も出来るというのを真剣に言われても、大人は信じがたい。

 

 しかし、妻の道恵が、小麦のケーキ屋を手伝うようになり、叶夢と接する機会が増えていきます。そこで、代二郎の反応が変わっていきます。叶夢の言うことを信じれるかどうかは別にして、叶夢の望むことをしてあげようと思い始めていきます。

 それが、レイのトレーニングに付き合うことです。

 叶夢との距離を縮めていくために、始めたことかもしれません。しかし、そのことが、叶夢と代二郎の距離を縮めていき、親子愛のようなものを生じさせていきます。

 結果的に、天使を信じたかどうかは別にして、叶夢の言うことを肯定してあげるということを実践したのでしょう。

 代二郎が、レイの存在を明確に否定しなくなったことにより、天使の存在が、自然と物語に溶け込んでいったように感じます。

 

愛情の物語

 物語の中心を占めるのは、家族愛だと思います。

 小麦に対する母親と兄の愛情。義姉の道恵が小麦に見せた覚悟。

 それは、決して同情などではなく、彼女に対するいたわりです。彼女のために出来ることは何か。常に、それを考え、彼女の気持ちを思いやる。

 その気持ちを、小麦も感じているのが伝わってきます。

 

 そして、叶夢と天使のレイ。彼らが小麦に対し、何をしたか。

 新しいケーキ屋の場所を決めたり、レイのトレーニングや試験に付き合わせることにより、小麦を元気にさせたり。

 レイが姿を見せたり、叶夢以外と会話することはありません。しかし、小麦は、その存在を感じているように思わせます。

 実際に、レイが存在するのかどうか。

 最初に書いた通り、それは問題ではないと思います。天使のレイは、無償の愛の象徴かもしれません。

 

 エンディングは、ほぼ予想通りです。レイが、小麦の前に姿を現しますが、その時の小麦に明確な意識があったのかどうか。

 彼女の薄れゆく意識の中で現れたレイは、現実なのか、彼女の夢なのか。

 どちらにしても、彼女の人生は救われたのでしょう。

 

 小麦の人生は、辛くて苦しい。しかし、不幸な人生ではなかった。そう思います。